那須塩原にて明治時代の「華族」の別荘訪問記

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明治初期、「華族」が那須の原野を開拓

那須塩原へは東京駅から東北新幹線で1時間あまり。退屈するほど長くなく、ほどよい時間で都会からリゾート地へ運んでくれます。

アプローチ

大きく天に向かってそびえる杉並木の奥に見えるのが青木周蔵の別荘だ

今回は駅を降りてレンタカーを借り、「華族」の別荘見学です。
「華族」という言葉は平成の時代にあっても、どこか華やかで庶民には手の届かない社交的な雰囲気が漂います。畑や雑木林が広がる牧歌的な那須塩原に「華族」がどうつながるのか、不思議に思われる人も多いかもしれません。今でこそ、那須塩原には塩原、那須高原などに別荘地が点在、また那須町には御用邸もあり避暑地のリゾート地として知られていますが、それ以前の明治初期に多くの華族や中央官僚たちが、那須野が原(今の那須塩原駅周辺の広大な扇状地平野)の開拓のために訪れ、農場をつくり、別荘を建設していたのです。

青木別邸

ドイツ建築を学んだ松ヶ崎萬長設計の青木別邸外観。国の重要文化財に指定されている(提供:那須塩原市教育委員会)

時代をさかのぼりますが、江戸時代の那須野が原は水に乏しく、ほとんどが原野だったようですが、そこに飲用水路が通されたのが明治15年頃。さらに明治18年に那須疏水を開削。当時、華族のステータスであった「土地取得」が農場をつくるというかたちで展開されたようです。明治10年代、20年代にかけて17の農場主がいたといわれ、主だった人を挙げると青木周蔵、大山巌、松方正義、乃木希典、西郷従道、山縣有朋など錚々たる面々です。

青木別邸は時代を感じさせない瀟洒な洋館

さて今回、見学したのは青木周蔵の別荘です。道の駅「明治の森・黒磯」に隣接しており、一般公開されています(定休日あり)。整備された道の駅の隣とはいえ、大きく成長した高木が境界のように一線を画しており、1歩中に入ると景色は一変、緑、緑、緑の世界に包まれます。

まるで参道のような並木道の正面に見える白い洋館、これが旧青木家別邸です。今どきの輸入住宅にまったく遜色なく、なんともモダンなデザイン。この別邸は昭和40年くらいまで、実際に使われており、平成8年~10年に復元工事が行なわれているとのことですが、明治42年の建物とほぼ同じ状態に建て直され、平成11年12月に国の重要文化財に指定されています。

玄関ドア

青木邸の正面玄関のドア。スクエアなドアの上部に半円形の窓を組み合わせている

外観は、クラシックな西洋建築を受け継ぐ左右対称のデザイン。ドーマーウィンドゥや1階のカバードポーチ、押し出し窓、室内に入るとモールディングやアーチ、暖炉もあり、当時のドイツ建築がそのまま踏襲されています。青木周蔵氏は外交官として活躍。ドイツ公使として長くドイツに滞在し、ドイツ人女性と結婚しました。

この建物もドイツで設計を学んだ松ケ崎萬長さん(七十七銀行本店や台湾鉄道ホテルを設計)の設計。当時は日本家屋は木造在来工法しかありませんでしたが、そんな時代にあってツーバイフォー工 法で建てら れた建物ですから、すごい技術です。

和室

西洋建築と和の融合。青木別邸には畳を敷いた和室もある(提供:那須塩原市教育委員会)

室内の壁や床はペイントです。蔦型とウロコ型の2種類のスレートで覆われた外壁も特徴で、神戸で見たウロコの洋館を思い出させてくれます。

馬車

青木別邸の1階に展示されている馬車。ヨーロッパ製の高価なものだ

別荘の中には、当時農場主として交通手段として利用したヨーロッパ製の貴重な馬車(2001年に修復済み)、渡航に用いたとみられる幅1メートルはある大きなトランクなどが 展示されています。トランクはルイ・ヴィトン製、今と変わらないモノグラム柄なのですぐわかるのですが、値段はいったいいくらだったのでしょう。当時の華族の暮らしの上質さが垣間見えます。





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